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今夜の番組チェック


このページは、ワタシが考えた事や思った事を

徒然なるまま書いていこうというものです。

Last Updata 2003/06/30


2001年1月8日 成人の日の若者考

今日は成人の日でしたが、今年もマスコミを騒がせるような成人式での事件が頻発したようです。
高知県では、あいさつした橋本大二郎知事に帰れコールがあがり、香川県では式場で酒盛りをして大騒ぎ、あいさつした来賓にクラッカーを浴びせる。会場を出てからも新聞記者とトラブルを起こし警官が駆けつける……など、かなりエスカレートしている出来事が起こったようです。
どうして最近の若者がこんなことをするようになったのか、原因は様々云われていますが、ワタシはこう考えてみました。

端的に云って、みんな「アタマがよくなった」のではないでしょうか?
決して「学力が上がった」とか「知的レベルが上がった」とか云ってるのではありません。物事すべてに対して、理屈を求めるようになったのではないか、ということなのです。
つまり、昔から言われてきている「道徳」や「規範」というものを盲目的に追随するのではなく、それに対して「どうして」「なぜ」というようになり、自分が納得しないとそれらを軽視、または無視して自分や仲間たちとの「約束」というきわめて狭い範囲の「ルール」に則って行動するようになってきたということなのです。こうなっては社会というものが個人の行動を制する事ができなくなります。
なぜこんな若者が増えてきたのか、原因は様々あるでしょう。しかしこれ以上このような若者を増やさないためには、自分自身が「道徳」「規範」から外れない人間になろうと自覚することが一番大事なのではないでしょうか。


2001年9月15日 アメリカ同時多発テロ考

9月11日の夜に伝えられたこの事件は、ワタシの心のみならず、全世界の人々に深いショックを与えたことでしょう。
新聞・テレビ・インターネットなどでも様々な意見が飛び交っていますが、ここではワタシのいわば私見を書かせていただきます。

原因は価値観の対立、これに尽きるのではないでしょうか?

アメリカは民主主義のいわば本家本元みたいなもので、犯人と思われるテロリストたちは過激な思想の元祖みたいなもので、テロリストが先制攻撃をかけたと取れるのではないでしょうか?
どちらも、自分たちが理想とする世界を創ろうと行動しています。アメリカは世界の秩序、テロリストは自分たちの宗教解釈をタテに日々行動している。それぞれは相手が行動をしていること自体、許せないのです。

もちろん、アメリカにも問題はあります。しかし、このようなテロが許されるはずは絶対にないのです。
価値観が違っても、相手を卑怯な手段、まして関係のない市民を巻き込んで倒すのは、到底容認できないものです。

日本もこの件にかかわっていかなければならないでしょう。こんな行為を許さないためにも、中立を決め込むことは何の意味もないと思います。

未来に不安を持たないようにするには、現実から「逃げない」のが一番なのです。


2001年10月28日 人の噂も…

1973年12月、愛知県小坂井町の豊川信用金庫に1000人以上が殺到し、預金を引き出す大騒動がありました。

「信用金庫が危ない」実際には大丈夫なのになぜ、預金者はそう思ったかというと、信用金庫に内定が決まった女子高生同士の他愛もない冗談が色々な人に伝わり、話がだんだん大きくなって取り付け騒ぎにまで発展したのです。

人の噂も75日とは昔から言いますが、何気ない冗談が会社経営を危機に直面させたり、人の信用まで失墜させることがあるのです。

いまはインターネットが発展し、掲示板やメールで頻繁に情報がやりとりされてます。悪意を持った噂はもちろん、何気ない冗談まであっという間に広まってしまう土壌が出来ているので、今まで以上に注意が必要でしょう。

また、自分を高める…つまり「自分の親の友達に国会議員がいる」とか「友達にアノアイドルがいる」などといった何気ないホラを吹く人も注意が必要です。

その何気ないホラが一人歩きしていって、とんでもないことになるかもしれませんからね。(ニヤリ)


2002年7月11日 強い男を目撃(7月25日加筆修正)

ウルトラマンコスモスの主役、ムサシ隊員を演じていた杉浦太陽氏が傷害と恐喝容疑で逮捕され、のちに釈放された事件はみなさんもご存知だと思います。

この事件は、被害者とされた人物の被害届がウソであったり、警察の捜査手法に疑問点が多いなど、すっきりとしない点が多い、いわゆる「えん罪」事件ではないかと云われています。

ワタシも以前から、杉浦氏の事をウルトラマンコスモスの主役ということで名前は知ってはいましたし、実際の放送も数回見たこともあります。それだけに今回の衝撃的な事件もにわかに信じがたいものだったのです。そこで事件の報道をチェックし、自分なりに考察をしてきました。(DIARY参照)

そして事態は急転し、釈放となった後の記者会見で、杉浦氏がじつにしっかりとした人物であると感じる事ができました。
彼は質問者の目を見据えて自分の言葉で答えて、この事態でも明るく、つとめて元気に振舞っていました。その姿にワタシは、強く心打たれたのです。

この会見を受けて、一部では心ない、揚げ足とりともいえる報道や、見方をする人もいますが、この会見の杉浦氏を見るとそれすらもプラスに考えてしまう持ち主なのでは?とさえ思わせるものでした。

まだまだ若く、発展途上だとは思います。また苦難の道もあるかもしれませんが、この信念と意思を貫けば、道は開けていけるでしょう。
更なる飛躍、成長を願っています。


2003年2月9日 「万引き死」事件への一考察

川崎の古本屋で万引きした中学生を店長が警察に引き渡したら、スキを突いて逃走し踏み切りで電車にはねられて死亡するという事件がありました。

その後、店に「人殺し」と電話が来たり、「配慮が足りない」と抗議に訪れる人がいたため、店を閉店すること(後日撤回再開するも結局閉店)にしたそうです。

万引きは刑法の窃盗罪という犯罪であり、例え中学生であっても、本来警察に逮捕なり補導されるなどで処罰を受けるものなのです。その犯罪に対して、警察へ通報したり咎めたりするのは当然です。

ですが、抗議は起きました。

その内容は「万引きはよくある事。そういうことを考慮して行動すべき」というものと「通報し警察が来たため、驚いて中学生は逃げ、結果として死んでしまった。店主は中学生の死に対し、責任をとるべきだ」というものの二つがあるようでした。

全くおかしな論理としか云いようがありません。

前者の「よくある論」は、万引きを日常茶飯事なので大ごとにした店主はおかしいとでも云いたいんでしょうが、どんな会社や店であれ、不正や犯罪を日常の事として処理していたら、それらは遅かれ早かれ潰れるでしょう。

小さな不正や犯罪も、経営者にとっては死活問題です。それを肯定したら被害はさらに拡大し、倒産という悲劇を招く事になるのです。

また、後者の「結果責任論」も変な話です。
確かに、行動には常に責任を持つべきですが、この場合の結果責任、つまり「万引き・警察への通報・警官から逃走・電車にひかれる」という行動の責任を負うのは店主ではなく、中学生自身ではないでしょうか?

もしも経営者側、通報した側、万引きを咎めた側に行動責任が生じると云う人は、以前あった東京駅のコンビニで万引き犯を捕まえようとした店長を万引き犯が刺殺した事件も、「捕まえようとした店長の責任であり、只の窃盗犯を殺人犯にしてしまった店長の行動は軽率」とのたまわれるのでしょうか?云う事は違っていても本質的には全く同じ思考ではないでしょうか。

このように、犯罪に対して寛容になる、犯した人ではなく被害者に責任を転嫁する思考が広がるのは、犯罪の蔓延につながる極めて危険なものであるような気がしてなりません。

今回死んでしまった中学生は気の毒な事ですが、目の前で起こった犯罪に毅然とした対応をとる事は絶対に曲げてはいけないのです。


2003年3月23日 イラク戦争に想う事

3月20日に始まったアメリカ、イギリスによるイラク攻撃は連日テレビや新聞で報じられていますが、大半の人は戦争反対を唱えているように見受けられます。

ワタシも今回のアメリカなどがとった行動は賛成しかねます。外交や国連という仕組みを軽視したもので、考え方もまず戦争ありきであり、アメリカは、自身が非難しているイラクの独裁者と五十歩百歩ではないでしょうか?

しかし、戦争は絶対悪であり、平和は絶対善なのでしょうか。

独裁者がいて、国民は政府を批判する事もできす、秘密警察の監視下に置かれ、うっかり指導者の悪口でも云ったら最後、連行されたり、最悪の場合死刑になる。でも他の国と戦争はしていない国。これも平和ではないでしょうか?
また、他国に侵略され、植民地になってしまった国。指導者を選挙で選ぶ事もできず、世襲で最高権力者が決まる自由のない国。軍事政権が存在し、軍拡競争に明け暮れ国民が蔑ろにされる国。それらも戦争さえしていなければ平和な国と云われるのではないでしょうか?

平和にはいわゆる「奴隷の平和」と云われるものがあります。自由はないけど衣食住がある、奴隷の状態になぞらえた言葉です。とにかく「戦争反対」と声高に唱える人々はそんな平和でもいい、とにかく平和ならいいと思っておられるのか?そんな疑問を抱かざるを得ないのです。
そんな人たちはたいてい、「他国から侵略や攻撃をされたら無条件降伏すればいい。だからどんな軍隊もいらない…」と云われます。
いわゆる非武装中立論ですが、いまだに日本ではそういった考えを持った人々が多いように思います。

ですが、自由や平和を守るための戦争も存在するのです。独裁者を打ち倒すための革命や、侵略から自国を守る戦争をしなければ、待っているのは「奴隷の平和」というものなのです。

「平和」の本質は自由であり平和である事、これが車の車輪のように両立して初めて「平和である」と云えるのです。ただ「平和」であればいいと思って行動していると、かえって自分たちの自由を危険にさらすことになるのです。

「戦争反対」と新聞に寄稿するミュージシャンや「人間の盾」として戦地に残る、デモ行進をして「戦争反対」を訴える。こんな人々が存在できるのも、「自由であり平和である」状態だからなのです。

自由と平和を守れるのは、理想に基づくコトバと歌ではなく、現実に即した備えと行動なのです。


2003年6月30日 イベントサークルレイプ事件の重大さ

6月19日に報道された早稲田大学などの学生らによる集団レイプ事件は皆さんもよくご存知だと思います。
イベントに参加して酔った女子大生を襲うという、極めて許しがたい犯行なのですが、この事件はとてつもない悪影響を与えるのではないか?と思えて仕方ありません。

それは、他のサークル団体への影響です。

まじめに楽しいイベントを企画したり、スポーツをやったり、ワタシが所属していた放送部のように放送や遊びを懸命にしていたサークルなどが大多数ですが、彼らのようなごく一部の人間が起こした事件で、特にこれから大学に進学する高校生たちが抱くサークル観は地に落ちてしまったような気がします。

新入生と一緒になって何かをやろうとして日ごろから努力している大多数のサークル団体が、4月に入学してくる新入生を勧誘しても、この事件の影響で警戒して話すら聞かないかもしれません。
そうなったら、件の学生らはどう責任を取るのでしょうか?

数年前から新入生の既存のサークル団体への所属率が減ってきています。その替わりに彼らは自分の親しい友達だけで小さいサークルを作る現象が全国的に増えているそうです。
そうなると先輩や後輩と接する機会が少ないためか、年上や年下との付き合いかたがうまくいかず、卒業しても職場の人間関係で悩むことが多いそうです。
それはフリーターの増加と関係ないとは云い切れません。

犯行を重ねたとされる学生らは、そのような風潮に追い討ちをかけるような愚行を犯したのではないでしょうか?

この状況を打開するのは難しいですが、解決策のひとつとしてサークルに入っている皆さんは自分たちが何をしたいか、何を目標にしているか堂々と胸を張って云ってみてはどうでしょうか。
それが、本当にいいものならば、新入生は魅力を感じ加入するでしょう。そしてそれはそのサークル団体だけにとどまらず社会全体にプラスになるでしょう。